門松の竹はなぜ切り口が斜め?
武田信玄と徳川家康との争いでの門松エピソードはとても好きで、みんなに教えてあげると「ほぉ~×10」くらい感心されます(^^)
お正月に建てる門松、なぜ竹を斜めに切り落としてあるのか!?
諸説ありますが、私が好きなエピソード(そうであってほしい)は、武田信玄と徳川家康の説です。
三方ヶ原の戦で、敗走した徳川家康に対して、武田信玄から家康を皮肉った文が届きます。
それに対して、家康も皮肉の文を返しますが、それだけでは腹の虫がおさまらず、門松の「竹」を「武田信玄」と見立てて、信玄の首を切り落とすという意味を込め、竹を斜めに切り落とし飾ったとされる説です。
その後、江戸幕府が開かれ家康からの命により、日本全国の門松の竹が斜めに切り落とされた竹になったと言われています。
なので、今でも信玄公ゆかりの地ではそれに反して「武田流門松」という竹をまっすぐに切った門松が建てられています。